2023年5月23日編集いたしました。
花巻が気になる方に、お役に立つかもしれない情報を発信してまいります。
目次
賢治自耕の地とは?
- 岩手県花巻市桜町にあります。
- 花巻市生まれの童話作家、宮沢賢治さんが農業を営むために購入した土地です。
- 賢治さんは自耕の地近くに生活の拠点として羅須地人協会を設立、農民とともに農業を学びました。
- 残念ながら、極寒の花巻で農民の暮らしは豊かとはならず、撤退した形になったと言われています。
賢治詩碑入り口
賢治詩碑に向かうか、下ノ畑に向かうか…迷うところです。
賢治詩碑の入り口から下ノ畑までは徒歩で15分ほど、砂利道を車で行くと2分ほどで到着します。
多くの方は賢治詩碑から、または賢治詩碑のみをご覧になると思いますが…自耕の地も捨てがたい魅力があります。
自耕の地の特徴
- 宮沢賢治自耕の地には、賢治さんが手がけた農作業の様子や、賢治さんの生活環境を垣間見られる展示や施設などは残念ながらありません。
- 賢治さんが愛した自然や農業に触れることができるスポットであり、賢治さんの文学作品に触発された体験や学びを風景が教えてくれる、そんな場所です。
- 賢治自耕の地周辺には、桜町の美しい景観や自然環境を楽しむことができる散策コースありますので、賢治さんの足跡を辿りながら、賢治さんの創造力や思想に触れることができるでしょう。
「銀河鉄道の父」撮影ロケ地
映画「銀河鉄道の父」の撮影場所(ロケ地)は岐阜県恵那市と岩手県花巻市です。
宮沢賢治の故郷である岩手県花巻市、そしてその街並みに近いとされる岐阜県恵那市が撮影場所として選ばれました。
花巻市では2022年6月にロケが行われ、ゆかりの地である「下ノ畑」や「羅須地人協会」での撮影で、一部のエキストラが参加しました。
映画「銀河鉄道の父」は2023年5月5日、全国公開され、多くの方に宮沢賢治さんの人となりを再認識していただく機会となりました。
宮沢賢治自耕の地は、文学ファンや自然愛好家にとって魅力的な観光スポットとなっています。
訪れる際には、事前にアクセス方法などを確認することをおすすめします。
賢治さんは当時としては珍しいアスパラや人参、白菜、トマトなどの西洋野菜、ヒヤシンス、チューリップなどの花を栽培していました。
下記の画像は2019年12月21日、雪が積もる前の厳しい冬を迎えようとする賢治自耕の地(下ノ畑)ですが、冬は冬で趣を感じます。
宮沢賢治さんが農業に従事した土地である「下ノ畑」は、北上川のたもとにあります。
下ノ畑という名前
- その地が北上川河川敷にあるため、川から見て下の方にある畑という意味でつけられました。
- 下ノ畑は宮沢賢治さんが農業を始める前から存在していた畑であり、賢治さんが自耕の地としたのは、下ノ畑の一部だけだったとされています。
下ノ畑とは?
賢治自耕の地「下ノ畑」
上記モニュメントから一部抜粋、要約しました。
春と修羅/本統の農民
「下ノ畑」
賢治さんが亡くなってから数十年が経過して、下ノ畑は買地となってしまいました。
賢治さんが耕した地に多くの賢治さんファンが訪れるようになったため、住民の有志が賢治さんが耕していた頃の畑になるよう試行錯誤しました。
その志を受け継いだ有志が下ノ畑保存会として活動しています。
「白菜畑」
賢治さん作品「心象スケッチ 春と修羅」には白菜をテーマとした作品があります。
この詩集に出てくる白菜は仙台白菜であったという説から仙台と花巻は密接に結びついていたという歴史的ロマンを語っています。
花壇 「涙ぐむ眼」
賢治さんは「日時計花壇」、「南舎花壇」など多くの花壇を設計しています。
盛岡少年院の敷地内にも「涙ぐむ眼」という賢治さん設計の花壇が存在していました。
涙ぐむ花壇を畑の中央に作り、マリーゴールドやサルビアも栽培しています。
羅須地人協会
かつては桜町にあった「羅須地人協会」は現在、花巻農業高校敷地内に移動しました。
羅須地人協会を訪ねてきた農民に対して、伝言板の役目を果たしていた「下ノ畑ニ居リマス 賢治」
「私は羅須地人協会の下側にある畑で農作業をしています」という意味ではなく?「下ノ畑」と呼ばれている場所に私はおります、という意味が込められていたと考えられます(個人的見解です)
ブラタモリも取り上げた下ノ畑
2019年12月のブラタモリでは
「花巻はなぜ宮沢賢治を生んだ?」
と称して、花巻電鉄跡、茶寮かだん(賢治さん設計花壇)、羅須地人協会とともに自耕の地も紹介されました。
賢治自耕の地(下ノ畑)の個人的評価、個性が際立つスポットです。
賢治さんの生活感じ度 | ★★★★★ |
賢治さんスポットユニーク度 | ★★★★★ |
2020年以降の注目度 | ★★★★★★ |