2023年7月18日、編集公開いたしました。
花巻が気になる方に、お役に立つかもしれない情報を発信してまいります。
目次
2022年1月に照井だんご店さんに特化した記事を発信いたしました。
今回は心象スケッチ「春と修羅」の印刷所跡にスポットをあてた記事となっています。
春と修羅とは?
春と修羅を検索すると以下のような内容が出てきます。
「春と修羅」は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』の中で、最も有名な詩の一つです。
(つまりは詩集のタイトルと詩のタイトルに同じ名前が付けられたということです)
この詩集は、賢治が生前に刊行した唯一の詩集であり、1924年に刊行され、各詩が発想された日、または第一稿が成立した日の順番で収められています。
「春と修羅」は、賢治自身が「心象スケッチ」と呼んだもので、宮沢賢治自身の内面を映し出した表現が独特の文章で綴られています。
この詩については、多くの解釈が存在しますが、一般的には「人生の苦しみと美しさを描いた詩」とされています。
2023年7月18日、閉店してから1年半が経過した照井だんご店、時々換気のため?玄関が開いている時があります。
心象スケッチ「春と修羅」の印刷所跡という石碑はお店の正面左にがあります。
照井だんご店と賢治さんの密接な関係
皆さんは花巻の照井だんご店をご存じでしょうか?
そう、花巻で最も人気があるお団子屋さんといっても過言ではない、そんなお店でしたが、惜しまれつつ2021年の12月に閉店いたしました。
照井だんご店の軌跡を確認してみましょう。
- 賢治さんは、照井だんご店の二階で印刷に携わっていました(大正活版所)。
- 詩集「春と修羅」ができるまで活字を拾う作業や校正を行っていました。活版印刷と校正については後述を参照願います。
- 自分の作品を自費出版するのが目的だったと思われます。
- 照井だんご店舗に向かって左側に心象スケッチ「春と修羅」の印刷所跡という石碑があります。
特筆すべきは宮沢賢治さんが照井だんご店さんの2階で印刷に携わっていたという歴史的事実です。
現在(2023年7月)は閉店した照井だんご店さんの2階で活字を拾う*1、校正*2に励んでいたと思われます。
代表的賢治さんゆかりの地
活版印刷を仕事としていたジョバンニと自分(賢治さん)が重なりあったかのように描かれています。
授業が終わると「家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲がってある大きな活版処に入って」そこでアルバイトの活字を拾う仕事をします。
6時少しすぎに仕事が終わり日当をもらうとそれでパンなどを買い、病気の母親の待つ家に帰ります。
そう遠くもない活版所に行くのに三度も町角を曲がるのが面白いので、賢治はわざわざこう書いていたのです。
花城小学校はお城の中にありましたから、敵が攻め込みにくいようにカギ型に曲げた道を通らねばならず、そこで2回曲がります。
モデルと考えられる大正活版所は、そのころ相生町として新しくできた道路に面していたために、もう1回曲がり、合計3度も曲がったのです。
この活版所の跡は現在、照井菓子店になっています。
照井菓子店は2021年12月、閉店いたしました。
「銀河鉄道の夜」と活版所跡から抜粋いたしました。
上記画像は2023年1月、お店の前を通った際のもの。
たまたま、お店の方が外で出ていらっしゃったので「閉店してから1年が経過しましたが、心境はいかがですか」とお聞きいたしました。
回答をいただき、花巻の照井だんごファンの期待に応えるのは並大抵の苦労ではなかったのだということを認識しました。
最後に照井だんごさんに敬意を表して、名物経木(つけぎ)だんごを紹介いたします。
花巻まつりの際の照井だんごさん、祭り時はおそらく大量の注文を裁くのに大変だったと思います。
経木(つけぎ)だんご
- 名物「経木(つけぎ)だんご」は甘い甘い黒蜜がたまらない花巻の名物です(黒蜜と言えば花巻の名物菓子「よだかの星」という薄く長いかりんとうにも黒蜜が使用されています)。
- 手や服を汚さないようにいただくのがなかな難しく、1粒は1口でいただくのが汚さないコツです。
- お店の方がまだ夜が明けぬうちから仕込みをされ、ほとんどが午前中に売り切れていました。
- 経木だんごを食した後は、クルミの美味さが引き立つ「お茶もち」が合います。
閉店後すでに1年以上が経過しましたが、改めて、長い間美味しいお団子を提供していただき、ありがとうございました。
雪がちらつく時期に閉店、高倉健さんの映画のようですね(笑)
時々、カーテンが開いていると、あれっ? もしかして復活?と思わせる和風メルヘンの照井だんご店。
心象スケッチ「春と修羅」印刷所の跡の個人的感想です。
賢治さんとの密接度 | ★★★★★★★ |
花巻観光貢献度 | ★★★★★★ |
記憶に残る名店度 | ★★★★★★ |