2023年9月3日、再編集公開いたしました。
花巻が気になる方に、お役に立つかもしれない情報を発信してまいります。
目次
花巻市内には賢治ゆかりの地が多数存在します。
この案内板では、その地域の賢治ゆかりの地を紹介しています。
30基ある案内板を巡って、賢治さんの足跡をたどってみませんか。
宮沢賢治ゆかりの地案内板は花巻市内に30基存在しています。
西は「鉛温泉・なめとこ山」、大迫は「早池峰山・河原坊」、東和町は「丹内山神社」、石鳥谷は「葛丸ダム」とまさに広範囲に渡っています。
宮沢賢治生家
宮沢賢治さんは、日本の小説家、詩人、童話作家であり、多くの人々に愛される作品を残しました。
宮沢賢治さん(以下賢治さん)は1896年8月27日、8人兄弟の3番目として、花巻市に生まれました。
宮沢家は代々医師を輩出する家柄で、賢治さんも幼い頃から医師を目指していましたが、病気により夢を諦めざるを得なくなりました。
花巻市豊沢町
賢治さんの生家は、花巻市豊沢町に現存しています。
質・古着商を営んでいましたが、賢治さん晩年に建築資材を扱う宮沢商会へと転業しました。
しかし、昭和20年8月10日の空襲で全焼、現在の建物は戦後に建てられたもので、賢治さんの弟清六氏の遺族が住まわれています。
宮沢賢治産湯の井戸
宮沢賢治産湯の井戸は、花巻市鍛治町、賢治さんの母親の実家に存在します。
この井戸から水をくみ上げて、賢治さんが生まれた時に産湯をわかしたと言われていて、毎年8月に一般公開されています。
宮沢賢治生家前にあるモニュメントです。
賢治さんの童話には「ミミズク」がよく出てきます。
花巻駅構内にも同様のミミズクが使用されています。
賢治の生家
以下の画像は賢治さんの生家から道路を挟んだ向かい側に位置しています。
「蛙のゴム靴」は賢治さんの作品です。
カン蛙が履いているゴム靴に憧れるブン蛙とベン蛙の物語です。
「祭の晩」は賢治さんの短編童話です。
山の神の秋の祭りに出かけた亮二が、団子を食べた山男を助ける物語です。
賢治さんの作品は、自然や動物との交流を通して人間の心や社会を描いています。
賢治さんは生家で多くの作品を執筆したと言われています。
代表作「銀河鉄道の夜」もその一つです。
また「注文の多い料理店」では「豊澤町」という架空の町名を登場させています。
「雨ニモマケズ」など一部の詩集は弟清六氏が出版したことでも知られています。
賢治さんの生家は一般公開されていませんが、外観は見ることができます。
車で10分程度の場所に宮沢賢治記念館や宮沢賢治童話村など、賢治さんゆかりの施設があります。
賢治さんがこの家で過ごした幼少期は、彼の作品に強い影響を与えたと言われています。
賢治さんは自然や動物、人々との触れ合いを通じて、想像力豊かな世界を創造、家族との絆を通じて、人間の生きる力や愛情の大切さを学んだと言われています。
宮沢賢治生家の意義
宮沢賢治の生家は、彼が生み出した世界観や哲学を理解する上で欠かせない場所であり、多くの人々に愛され続けています。
彼の作品から生まれる魅力や感動を感じるために、ぜひ宮沢賢治記念館や生家周辺を訪れてみてはいかがでしょうか。
宮沢賢治生家の個人的感想です。
存在する意義 | ★★★★★★★ |
現存する重要性 | ★★★★★★★ |
花巻市への貢献 | ★★★★★★★ |